
2025/08/09,23
劇作ワークショップ
8月9日、左京西部いきいきセンターの会議室にて、「劇作ワークショップ①」を開催しました。本WSは、講師に下鴨車窓の田辺剛さんをお招きして開催する二つのワークショップの一回目となります。
劇作ワークショップ①と②で、また内容も変わってくるのですが、①の方はレクチャー形式、➁の方は事前に書いてきた1シーンを共有し、フィードバックをし合うワークショップとなります。
皆が席について、それぞれお呼びする名前を田辺さんが確認したら、早速スタートです。

まず、田辺さんが質問をします
「戯曲に必要な要素とは」
席順に1人ずつ参加者が答えていきます。
タイトル、登場人物(数、背景、口調)、台詞、ジャンル、公演時間etc..
参加者の中には、普段戯曲を書いてない方もいますが、書いた、読んだ、観劇した、参加したなど、それぞれ自身の経験に準えて思い思いに言っていき、それに対して田辺さんが応答します。

ある程度、意見が出たタイミングで
早速、『場所』をスタートにして、一つの物語を作ってみる時間が始まりました。
田辺さんは、また席順で参加者に1人ずつ聞いていきます。
田辺さん(以下、省略)「〇〇さん、場所はどこにしましょうか?」
〇〇「実験室で」
「高校のですか、それとも大学ですかね。」
〇〇「大学の、、農学部の実験室で」
「じゃあ次は、△△さん、この場所はどういう地域ですか?」
△△「奈良で」
「□□さん、登場人物は何人ですか?」
□□「5人で」
「××さん、男女比はどれくらいですか?」
××「男2人と女2人とビーバーで。」
室内、笑いが起きる
「♢♢さん、男1の年齢はどれくらいですか?後、どんな肩書の人ですか?」
♢♢「21才の学生で」
「☆☆さん、この人達にはどんな課題がありますか?」
☆☆「校舎の取り壊しがある」

このように、一問一答形式で、聞きながら一つの物語の概要を作っていきます。
田辺さんは、ほとんどテコ入れしません。
そのまま、粗筋も同じ流れで作っていきます。
・シーン1では女1が論文を書いてる横で、男1がビーバーに文化祭で玉乗りをするように交渉している
・ビーバーは嫌がってる
・玉の色が嫌
・玉に乗ったビーバーが女1の研究サンプルを壊す
など
田辺さんは、ここでは、簡単にフィードバックで終わります(ビーバーとか、人以外の登場人物がこういうWSでは中々出ない事が多いとか)。
一幕の冒頭が決まった所で、前半終了。

後半は、また別の新しい物語を作ります。
次は、駄菓子屋と1人の参加者から場所の指定がありました。
また、1人ずつに物語を構成する要素(背景情報)を聞いていきます
・コンビニの隣
・一戸建て
・店主は30代男
・3年前に他界した祖母から継いだ店
・昔の友人が客
・一幕は無人の店内
・女2登場
・雨やどり
・男1登場

そして、いよいよ参加者1人につき、一台詞を追加していき、戯曲の作成に入りました。
田辺さん「◎◎さん、最初の台詞を教えてください」
◎◎「じゃあ、男1『いらっしゃいませ。何か欲しいものある?』」
「●●さん、次の台詞はなんですか。」
●●「女2は無言で周りを見ている」
・
・
・
これも終わった後、フィードバックで、劇作WS①は終了です

《劇作ワークショップ①で感じた事》
私がこの戯曲Wワークショップ①で実感した事の一つとして
【自分だけの言葉では、たどり着けない文脈、登場人物像が存在する】っていう、結構当たり前の事です。
今この文章を読んでる皆さんにも、試しに実感してみましょう
女2『(男2に)おじいちゃん』
男2『どうしたんか、さっちゃん』
女2『あのお兄さん(男1)がね、わたしのチョコレートをどっかに消したん』
????
⇑この次にどんな台詞をあなたなら連想しますか。
10秒ぐらいで考えてみてください
どうでしょう、例としては
男2『(男1に)なんでそんな事するねん』、『返したって』、『おじいちゃんもチョコレート食べたいなぁ』、男1『いや、賞味期限が切れてるんですよ』
今、挙げた例はしっかり受け答えをしようとした会話ですね。
では、参加者の1人が実際に出した台詞はこうでした。
男2『ハイライト一つ』
僕は、この台詞を見て『あ、来て良かった』って思いました。
その参加者がなぜこの台詞を思いついたのか(もしかしたら、絵本の『はじめてのおつかい』の1シーンから引用してきたしれないし、実際にそういう場面を見た事があるのかもしれないし、普段男2みたいな性格の人なのかもしれない)、分からないのですが、
一見しっかり受け答えのしていない台詞なんだけど、自分が最初から想定していない登場人物が浮かび上がる、物語を作る上でのこの不思議さは、なんなんだろうな。
まず、自分の見えてる世界と他人の見えてる世界は全然違う。それは、決して共感できない事も沢山ある。だからこそ、それを『お互いに』文章にしてみて、比較すると、とっても面白い。それは、観客との一方的なやり取りでも生まれる事なのかもしれないけど、僕は「日記でも、人に見せなくても、拙い言葉でも良いから、『皆』書いたらいいのに」と、これを機に思うようになった。そしたら、きっと人の作り出す『言葉』の凄みを実感できる。
(レポート:森本柾史)