審査員紹介
審査員から寄せられた講評を掲載いたします。
川崎陽子
【A-1 REFUGIA】
「明日のバラエティ」収録という体で始まるのですが、何が何やらよくわかっていなかった私は、本気で収録が始まるのかと、すごく真面目に前説を聞いてしまい、その後「そんな訳ないやん」と自分で自分につっこみました。…というところで、すでに思わず笑ってしまう面白さがありました。演劇祭の開幕パフォーマンスをいう構造をうまく使って、各参加団体の紹介導線にもなっており、非常に良くできた上演だと思いました。
一点、あえて挙げるならば、いわゆる「バラエティ番組」のステレオタイプな構造に対しての、ちょっとした意趣返しのようなものを忍ばせてもよいのかもしれません。たとえば、今回の上演ではいわゆるバラエティでよく登場するようなアシスタントが、これもよくあるように女性によって演じられていましたが、こうしたジェンダーのステレオタイプに対して裏返していくような試みも見られると、「エキシビション」という観客を楽しませることが第一義の上演の枠組みの中でも、より幅を持たせた社会批評のようなことができるかもしれないと思いました。
【A-2 オヒアレフア】
演劇のポストトーク準備のような感じで、出演者が椅子を並べて、水を置く。この淡々とした準備で、何だかむしろ期待が高まりました。そこから展開される、今ここにいない、不在の人の話。俳優ひとりがある程度話したところで、舞台から降りて、後ろの公園を回ってからもう一度舞台に乗ります。今回の演劇祭特有の空間性、それに伴い生じる時間性を使っているところはとても良いと思いました。電車が通る時は、台詞を一度止めて電車の音を聞くところも、現在性の共有という点で効果的に思いました。フィードバックのような会話の中で、「その人との関係性をもう一度作り直すような感じでしたね」と俳優が言いますが、まさに観客としての自分が「不在の人について語るとはどういうことだろう」と考えていたのと同じことで、ドキッとしました。この上演自体がフィクションであることは明確でありながら、いま、ここで進行しているリアルを同時に体験させるメタ的な構造が活かされており、メタフィクションとして成立していたと感じました。
ただ、その後のもうひとりの俳優による話では、ひととおり話した後、舞台から降りて外の公園を回って舞台に戻ってくる演出が繰り返され、これがパターン化するのがよいかどうかは再考の余地があるかもしれません。3人目の俳優は、反復横跳びしながら、おばあちゃん(を発話する俳優)と会話します。ここまでひとりの独白で舞台から一度降りるというパターンができていたので、ここで変化球があったのは良かった。不在の人とのコミュニケーション/ディスコミュニケーション、記憶、過去などさまざまな想起を演劇的な仕掛けで生まれさせているところは、高く評価したいと思います。観客の想像力喚起へのもう一歩は、さらに演出的に踏み込むこと(沈黙の時間をどう作るか・作らないか、音響効果を入れるのか、観客との関係性を視点の置き方等で作るのか)で考えてみてもよいかもしれません。
【A-3 劇団環夢離】
「世界の多重性」がテーマで、最初のセリフからはっきりとそのテーマが示され、一気にその世界に。…のはずなのですが、個人的にはロリータファッションの主人公を過度にガーリーな表象に感じてしまい、いまいち入りきれないところがありました。
テーマ設定のある程度のスケール感や、その世界を全員でチームワークよく作り上げているところなどはよいと思いましたが、世界の多層性は、いま、この時に生きられている多層の生と現実を見つめることでこそ、生まれてくるのではないでしょうか。それを、主人公とダーリン=パートナーとの関係性のみで描くことには、少し無理があるのではないかと感じてしまいました。また、最後には「空白」が主人公を啓蒙するような形で気持ちが接近し、主人公自身が選択して空白に食べられることで、閉じ込められていた部屋から解放される、という展開でしたが、ジェンダー的な観点から考えると、空白(男性)が主人公(女性)を諭したことで主人公が空白を好きになり、空白に身を差し出すことで自らが解放される、という展開には疑問を感じました。
【B-1 灯座】
ソラという役名の登場人物を含めた、3人の友人同士らしい登場人物たちが、夏を思いきり楽しもうということでそれぞれ夏っぽいものを持ち寄り、友人2人がボケまくっているところに、ソラがつっこむ展開で始まります。最初のシーンでソラが倒れ込んでいたのもあり、何かあったとしたら、この人だけ見えているものが違う?それはちょっと面白いかも?と思いながら見ていましたが、ウケ狙いと思しき台詞が観客にちゃんとウケていて、客席を味方につけている感じがありました。もう一度ソラが倒れ、踏切の音が流れるところは、上演会場の場所性もうまく使っていたと思います。友人2人による、「夕方、境界線、夏と秋、生と死」についての台詞がここで入ったのが印象に残りました。
その後花火をするところも、野外会場の特性を活かしていて効果的でした。ここまでの流れの中で、境界線の世界を立ち上げる伏線をもっと作れていると、展開としてさらに面白くなったと思いますが、夏の儚さや生の儚さ、友情、今をすり抜けていく時間など、なんともいえない「間」の時間をここで見事に作り上げ、ゆるくも感動的なシーンでした。観客席まで花火の匂いが立ち込めるのも良かったと思います。
ただし、その後の、ソラが踏切で猫を助けて怪我をしたという展開は少し蛇足に感じてしまいました。花火のくだりで、もしかしたらソラは死んでしまったのかも…というくらいで、静かに終わって余韻を感じさせるというのも、一考の余地があったかもしれません。
【B-2 劇団ゆうそーど。】
劇中劇のメタ的な構造を使い、しかもその劇中劇で演じられるオムニバス作品のタイトルが「時間なんて無いとしたら」で、わくわくさせられました。
タンスを置く場所を算段する男と、妊娠中の妻のお話。測るたびに長さが変わる部屋、敬語とタメ語を行き来する2人の会話、鳴るはずのない学校のチャイム、急にやってきたツバメの巣。過去と今が交錯し、言葉の一節や部屋の一角で景色が変わるように感じました。同級生2人のお話。海と流星が見えるらしいところで、世界が破滅したら良いと語り合っていたら、「星」が登場。「世界はズレていく」というセリフは、前のお話からのつながりも感じられて良いと思いましたが、地震・津波を想起させる展開は、このモチーフを扱うのであれば、もう少し重みがあってほしいと思いました。白いワンピースの女がロープを持って登場するお話。幽霊と死体が共存する世界で、ヨーヨーを盗む浴衣姿の女やそれを追いかける老人などが交錯する展開は、楽しめました。
以上で劇中劇は終演し、劇団メンバーはアンケートを読んだりします。時間、空間の二重性へのアプローチを劇中劇の構造を使って試みているところは意欲的だと思いましたが、どのお話も、いずれも断片的な世界の描写とテキストの提示で終わっており、もう少し突っ込んだ展開があってもよいかと思いました。死と生の世界、虚と実の世界など、二重のパラレルワールドは提示できていたと感じたので、これらがより多層性をもって示されると説得力が増すのではないかと思いました。
【B-3 劇団アンゴラ・ステーキ】
この作品にとって重要な要素である、「テルミン」という装置を用いて大江健三郎のテキストに挑むことの必然性について、途中まではあまりよく分からなかったのですが、バスの中で外国兵に辱めを受けた被害者の男に、警察に届けようという女が付きまとい、その付きまといがぐるぐるするシーンで、2人とも舞台中央のパソコン/テルミンにつながっていて自由にならず、動けば動くほど絡まっていく、そして音が中断なく奏でられている、というあたりでようやくテルミンの意味性に気づきました。このあたりのテルミン(と見える装置)を介した展開は、自由/不自由、支配/被支配の構図を視覚的に表しており、効果的だったと思います。ただし、これはあくまでテルミンと見せているだけで、実際の楽器は別のところにある、ということも明らかで、そこのズレは少し気になりました。
アイディア、上演構造、難しい主題(敗戦国の恥辱、支配/被支配、善意の人にも支配の構造は兼ね備えられている、など)へのアプローチは評価できる一方、いま大江のこの作品を取り上げたことの意味は、私にとってはそれほどクリアではありませんでした。この作品のみならず、時代背景の異なる文学・戯曲の演出においては必ずクエスチョンになることだと思いますが、戦争や戦後の時代を扱うにあたり、いま取り組みたいアクチュアリティをどこに見出しているのか、という視点をより突き詰めて考え、提示することで、観客の応答というものもアクチュアルになるように感じました。
【C-1 BYUS】
同じ大学に通う女性、男性2人のストーリーで、透明感のある照明効果もあいまって、爽やかな作品でした。写真部に所属する女性と、普段はイヤホンをして周囲の音を振り払っているほどコミュニケーションしたがらない、しかし作曲に取り組む男性。2人のそれぞれの背景やいまの感情が次第に明かされていきますが、電車が通る音が筒抜けの会場では、聞き取れないところが多々あり、そこは残念でした。また、モノローグや自省的な台詞の後に照明が落ちて場面が変わる、という手法がパターン化しているように感じ、もう少し工夫の余地があるかもしれないと感じました。男性が家にひとりでいるらしいシーンで、後ろの幕を活かして空間が青く染まる照明は効果的で、この台詞がないシーンはさまざまに想像を促して印象に残りました。
それぞれの人物造形にもう少し踏み込めたかもしれないところと、そうした人物造形は写真や作曲といった表現に向き合うなかでもっと描き出せる部分があったのではないかというところで、より多様な視点を提示できる可能性があるように思いました。
【C-2 社会の居ヌ】
スケールの大きなSF作品で、その勢いのよさと緻密な構成、舞台造形の効果は、今回上演された作品の中でも特筆すべきものがあったかと思います。布と照明を使って空間とシーンをダイナミックに作っていく手法は、よくあるといえばありますが、この作品には非常に合っているように感じました。進化、海、環境などをキーワードにして組み立てられる冒険譚の中で、海底を走る列車の旅、文明間の衝突などが描かれ、発話がないシーンの俳優たちも空間にしっかり共存しているところが印象的でした。
ただ、進化論やダーウィニズムの問題性について、必ずしも作品に取り込む必要はないかもしれませんが、何かしら考えを置くところがあってもよいのかもしれません。また、地上―海中―地底の3階層に生物が分かれて生息するという設定は、現代社会における格差や階層のレイヤーを描き出すメタファーにもなり得るのではないかと思います。仮想的ディストピアを描くことで、いま私たちが生きるこの世界と社会の現実や問題点を描き出す視点を提示することもできるかもしれません。現代社会に通じる視点と、それを観客にも問う姿勢を、より感じられるとよいのではないかと思いました。
【C-3 劇団ケッペキ】
引き出しがたくさんついている装置が舞台の左奥から中央に向かって置かれており、真ん中には机、その前には水が入ったグラス置かれています。男性の俳優2人が舞台上にいて、「水、揺れてるよな」という最初の台詞が印象的でした。その後、お盆である描写があり、蛍、蝉、燃える紙など、消えてしまうものが次々と描かれる中で、いない人への手紙=幽霊への手紙、というやりとりに、次第に現実がゆがんでいくように感じました。そこへ登場する車掌と、「この部屋は列車」という台詞で、夢のようにゆがむ現実に、さらに「移動」という要素が付け加えられます。引き出しは郵便受けでもあるらしく、郵便屋さんも登場。ここから、落としてしまった言葉、正しい場所に届く言葉、見つめたら見えてくるもの、など言葉に対しての印象的な描写が続きます。一方、最初のシーンから扱われている水も重要なモチーフですが、移動し流れていく水、固体・液体・気体と形を変えていく水、という視点はあるものの、もう一歩、イメージとして昇華させる仕掛けがあってもよいかと思いました。届かない言葉、正しくないところに届くことも重要な言葉と「通信」をつなげる手法は詩的で、そのイメージの大きさと流れの作り方で独特の世界観を提示したところはとてもよいと感じた一方、さまざまなモチーフが登場するので、それぞれについてより掘り下げることでさらに深みが生まれるのではないかと思いました。
酒井信古
【A-1 REFUGIA】
祭りの前座をこれ以上ないほどしっかりと務められておられたように思います。非常に真面目な構成。その反面、安定してしまいそうになるので爆弾が置かれているとスリリングかもしれません。その意味では実行委員長の村側さんがいい味を出していました。不確定なものにもう少しだけ委ねながら、マシューはじめメンバーの皆さんが綻ぶように笑えたときにこの演目は完成すると思いました。京都学生演劇祭の舞台上で踊っている沢さんが見れたのも感慨深いものがありました。薔薇。
【A-2 オヒアレフア】
過剰に劇的であることを避け、等身大の台詞をここにはいない「幽霊」に向けて届けようとするのを目撃した。
希望の広場、夏の夜の公園に流れてくる音たち、特に虫の声との相性がよかった。
しかし、その演技体は自然体からは遠く、自然っぽい不自然ななにかになっていたように思う。客席との間に何を感じ、台詞を口にする間にどう変化していくのか、もっと敏感で繊細な在り方を独自の路線で追求していかれることを期待せずにはいられません。
【A-3 劇団環夢離】
統一感のある役者の衣装などから察するに、もしも劇場で上演されていたならば、もっと強度のある「空白の世界」が広がっていたのだと思う。野外ステージ上ではそれを表現しきれてはいないように思えた。
また間を削った、早めのやり取りで軽快に物語が進行していたが、決して分かりやすくない世界観なので、ひとつひとつの状況を丁寧に成立させていって欲しかった。メンバーが同じ方を向いたよい集団だということがひしひしと伝わってきました。
【B-1 灯座】
夏の夜に彼ら彼女らとだべってきたような、そんな季節感のある演目。すべてが狙い通りにうまくいかなくてもいいじゃないか、という思い切りの良さが感じられて微笑ましかった。成功と失敗すら曖昧になった舞台上に、うまいことパカッとは割れず、ぐちゃぐちゃに砕かれたスイカが、しかし爽やかに転がっていた。
だから四の五の言うのは野暮かもしれないが、演技ももっと肩の力を抜いて、やわらかなやり取りがなされてもよかったように思う。その意味で花火のシーンは特別いい時間が流れていた。
【B-2 劇団ゆうそーど。】
短い転換時間で柱をバリバリと立てていたところからワクワクさせられた。立てられた柱が象徴的な意味を帯びながら舞台を際立たせていたが、欲を言えばそこに柱が立っていればこその画が見たかった。
役者もみな適度に緊張感があり、人物それぞれのにおいも感じられるいい演技だった。メジャーで舞台芸術を、制服で学生を、ヨーヨーやりんご飴で夏を連れてくるやり口も洗練されていた。
電車の通過する音によって強制的に「時間」を意識させられるので「時間なんてないとしたら」というタイトルの逆、無常を感じさせられたが、それはそれで味わい深かった。
「素晴らしい上演だったと思います。」
【B-3 劇団アンゴラ・ステーキ】
テント芝居のおどろおどろしさと妖艶さを思い起こさせる演目。特設舞台へのよいアプローチだった。
テルミンをモチーフとするならば「触れる」ことについてもっと慎重になって欲しかったし、手の表情などにも着目してしまう。
染み渡るような「演奏」を期待したが「羊撃ち羊撃ちバンバン」と叩かれ続けているように感じた。流れ続けるテルミンの音量の繊細な調整など、その着想でもっと洗練されたものが見てみたい。その上で、貫かれたい。ラストの画が印象に残った。
【C-1 BYUS】
うららかなボーイミーツガール、いや、ガールミーツボーイ。時折、吹き抜けては木々をざわめかせる風のように優しい演目。照明と音響が程よく物語を支えていたように思う。【夕暮れ】の照明が特によかった。
押し付けがましくなくて見やすいが、ふたりのことをもっと教えて欲しくなる。一見すると爽やかなふたりに見えるという大枠を崩さないように、もっと繊細な演出と演技によって、周囲に振り回されてきた不器用なふたりの苦悩が表れて欲しい。
【C-2 社会の居ヌ】
開演前から電車の音を掻き消すように波音のSEが流れ、野外ステージの環境と真正面から戦う気なのだなということが伝わってきた。上演がはじまると怒涛の冒険活劇が会場を海流のなかに呑み込んでいったように感じた。白布を用いた演出は新しいものではないが、そのひとつひとつがしっかりと効いていて美しい画がいくつも印象に残っている。難点を挙げるならバックライトが席によっては眩しい。
エンタメ(という括りを嫌うものもいるが、分かりやすいので用いる)ですよという演技体であったが、台詞が流れすぎないように、伝えるべき台詞をしっかり伝えるよう留意して欲しい。その観点でスズキ役の役者のバランスが素晴らしかった。また「海底人」であることを時に忘れてしまいそうになるので「水かきの成長」を表現するなどでなんとか繋ぎ止めて欲しかった。あれこれ述べたが率直に言うと、おもしろかった!
【C-3 劇団ケッペキ】
言葉を正しく届ける、という真っ当な理念に貫かれた風格のある演目だった。D役が特に素晴らしかった。彼女のシーンでは物語と舞台の仕掛けと役者の演技が溶け合って「世界の夢」が舞台上に広がっていた。
夢であるし詩(歌)であるならば変調していって欲しかった。こだわりがあってのことだとは思うがすこし平坦に感じた。本火、本水を用いていたが、どちらもいまひとつ効果が出ていないように感じた。宙を舞う手紙は美しかった。これからも皆さんの精神が団に継承されていくことを願います。
鳩川七海
【A-1 REFUGIA】
「愛」という言葉が観劇中頭の中にずっといた。
というのも、会長の村側くんがしきりに「演劇祭への”愛”」「”愛”のある審査を」と口にしていたからかもしれない。
エキシビションという言葉に胸が高鳴り”演劇”を求めていた私にとって、序盤は「これがエキシビションなのか…?」という感想しかなかった。「この俳優さんの安定感すごいな」「照明当たってないな」「どこからがアドリブなんだろう」という、演劇を観にきた人としてこの劇を観ていた。
でもふと気がついた。自分は今、観客ではなく”演劇祭に参加しにきた人”だったんだと。
これが演劇祭が産み出した「愛」なのかもしれない。東北演劇祭の会長と電話が繋がったあの瞬間は、演劇祭の愛が詰まった時間だったと思う。演劇祭OGの私にとっても、あの日演劇祭に参加しにきた人全員にとっても、忘れられない素敵な瞬間だった。そして、それを産んだREFUGIAの皆さんには、もはや感謝の気持ちすら覚えた。不思議な体験だった。
【A-2 オヒアレフア】
「どうでした演ってみて。」
俳優をしている私にとって、背筋が伸びる問いだった。そして観客である私にとってその問いは「どうでした観ているだけで。」に変化していた。
序盤で観客に対して、劇の構造や俳優の立ち居振る舞い、目線などでこの演劇の見方を提示できていたらより優しいのかもしれないなと思いつつ、演劇体験として面白い時間だった。
無駄のない転換、3人のセリフの輪唱、反復横跳びのズレ。3人の俳優の姿勢、歩き方、声色、発語の違いが全くノイズにはなっておらず、それが俳優の演劇に対する考え方の違いにも見えて、それぞれが自立した俳優であること、それを信用している作家演出家にも好感をもてた。
演劇人への挑戦状のようにも思えたこの作品は、演じること、一人の人間のドラマを背負うこと、当事者性を利用すること、改めて演劇のありとあらゆる可能性や恐ろしさを感じられる作品だった。
【A-3 劇団環夢離】
野外舞台の良さと難しさを感じた時間だった。クリエーションの段階で意図していなかった花火の音、電車の音、犬の鳴き声等が、空間に少しアンマッチだった物語、衣装や小道具をうまくブレンドしてくれていた。
主人公の発語が非常にクリアで、聞き取りやすく何を話しているのかよく分かった。それは他の俳優に対してもそうで、とても洗練された稽古量が見える会話劇だった。エンタメ的な要素が多いあの作品で、会話劇の要素を感じられたのは、チーム力の賜物だと思う。
私たちの生活の中で、不揃いで不完全な会話は少なくない。この作品では、言葉を尽くしすぎてる程完璧に会話、説明ができる人物ばかりだった。心情や、状況の説明をしすぎるとその時点で観客は、想像することをやめそうになる。これからのクリエーションでは観客との信頼関係を築くのも課題に、チーム力を活かした作品に期待したい。
【B-1 灯座】
夏を満喫した。それに尽きる。「夏に忘れ物」は時期、時間、空間を味方につけていた。3人の最高でくだらない戦いを観ている観客の空気はあたたかく、観客をも味方にして45分間を楽しんでいたように見えた。
ブルーシートから大幅にはみ出るスイカ割り、長すぎる花火、謎なタイミングで行われる歪な側転。特にユウの独特な安定感、リラックスした身体と発語は、私の心を鷲掴みにした。ヘンテコな人物の中にも、しっかりとしたロジックがあり、会話の展開のさせ方は無理矢理感を感じさせず非常に巧みだった。
ノイズだったのは、自然に生み出される環境音の中の、効果音の異物感。リアルの中のフェイクを敏感に感じ取れる環境下で、どう意味をもたすのかは非常に難しい。その点、花火やスイカの匂いはあの環境の中でとても効果的で、より舞台上と客席のボーダーをなくしていた。
あの物語の構造上、ドラマチックな展開をするのは少し難しさを感じた。ただただ夏を楽しんでいる3人を観ていたかったという私のエゴなのかもしれない。
演劇祭楽しかった!と思わせてくれたと同時に、最高の夏をもらった気分だ。
【B-2 劇団ゆうそーど。】
次の作品も、次の次の作品も是非観続けたい劇団。この劇団に出会えてとても嬉しい。
舞台監督の履いているクロックスや、メイクの出来具合など、開演15分前のあの感じが完全に舞台上にあり、丁寧に創りこまれた世界観に釘付けだった。台本を読んでみると、丁寧すぎるほど括弧ト書が書かれてあり、作演出の丁寧さを感じた。
オムニバスの3作品はヘンテコなシチュエーションや会話に負けない役者の演技力、演出力は群を抜いてよかった。
今できることを今いるメンバーでする最大公約数のような演劇だった。劇団として、素晴らしいクリエーションだったに違いない。
【B-3 劇団アンゴラ・ステーキ】
自分達が良いと思う演劇、やりたい演劇を、いろいろな実験を通して形にしていく。その姿がかっこよかった。
俳優陣の演技は気持ちが良く、非常にこの作品とマッチしていた。特に女1の演じ分けは、声色から身体までこだわりを感じた。
テルミンをはじめ、アイディアの宝庫は見ていて楽しかったが、アイディアの扱い方のバラエティも見たみたいと思った。テルミンがテルミンである理由が必要だと思った。一つのアイディアから派生していろいろな風景が見れたり、音が聴けたり、それに言葉が重なったりする。一つひとつのアイディアが連結すると、よりアイディアが作品にとって必要不可欠なものになるはずだ。
【C-1 BYUS】
とても見易い作品だった。2人の俳優は発語がクリアで、聞き取りやすかった。それが見易さにつながっており、派手な演出や、物語の劇的な展開がなくても、しっかり言葉を届けていれば良い作品になると証明してくれた。特に四十万役の俳優のセリフの扱い方は、ストレートで伝わりやすく、スピード感リズム感もテキストに対して最適解だった。
だからこそ、作品を通して電車の音で声が消えてしまうのは勿体なかった。聴き心地がいい2人の声をしっかりと聞いていたかったのが心残りではある。
【C-2 社会の居ヌ】
素晴らしい演劇だった。演劇みたなぁ!!という気持ちになり、さらにブラッシュアップされたこの作品をまたどこかの劇場で観てみたい気持ちで、45分間ずっとワクワクしていられた。
7人の俳優全員の演技体に統一感があり、勢いの良い俳優たちが自信に満ち溢れながらお芝居をしている様子はとても好感をもてた。
アイディアの派生の仕方も飽きがなく、布の使い方ひとつとっても統一感はあるのに、一つとして同じ風景はなく、空間の使い方は観ていて胸がときめいた。
スズキ役の俳優が素晴らしく、いろんな作品、いろんな劇団でお芝居しているところが観たい。
ブロッキングで関係性や視線誘導をするのが巧みで、俳優の演出脳と演出家のまとめる力を感じた。今後は丁寧なミザンス創りが課題になってくるだろう。
是非次回作も観てみたい。
【C-3 劇団ケッペキ】
観客の想像力を阻害しない戯曲だった。一文一文が短く簡潔で、作家が俳優と観客を信じて物語を紡いでいるように感じた。
魅力的な声をもつ俳優ばかりで、特に郵便局員の声が作品にもキャラクターにもぴったりだった。
演技体のバラツキを演出がどうチューニングしていくかが課題だと思っていたが、ところどころ素晴らしくハマるシーンもあり、全てのシーンでそれが観られると作品がより厚みを増すだろう。
シャベルや懐中電灯、手紙など小道具の使い方が丁寧で綺麗だった。
風景も繊細で綺麗、かつ無駄がなかった。中でも手紙が降ってくるシーンと水の波紋が横の幕に映っている風景はとても印象に残っている。
演技、演出、美術、物語等、全てにおいて綺麗な作品で、良い演劇祭のラストだった。