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KSTF2022

審査員情報

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京都学生演劇祭2022では、3名の方々に審査員を務めていただきます。

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合田団地

努力クラブ

 

努力クラブ。劇作家、演出家、ごくたまに役者。1987年生まれ、大阪府高槻市出身。高校時代、演劇部に入部するとともに演劇を始める。佛教大学劇団紫を経て、2011年、立命館大学劇団西一風の佐々木峻一とともに努力クラブを結成。以降、京都を中心に活動をする。努力クラブとして、アトリエ劇研の創造サポートカンパニーに選んでいただいたり、神戸アートビレッジセンターのKAVC FLAG COMPANYに選んでいただいたり、アイホールのbreak a legに選んでいただいたりしました。来年2月には、ロームシアター京都のKIPPUに選んでいただいています。京都学生演劇祭には、第一回に参加していました。

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佐々木ヤス子

サファリ・P

 

サファリ・P所属。神戸大学 発達科学部 人間表現学科卒業。同大学在学中より演劇活動を開始する。

2017年には、シンガポールにて一人芝居を上演。
サファリ・Pでは2019年瀬戸内国際芸術祭に参加する他、コソボ共和国のFEMART FESTIVALに招致され上演するなど、国内外問わず活動の幅を広げている。
「エミィ賞グランプリ」にて作品賞を受賞するなど、コメディエンヌとしても評価を受けている。off-Nibroll、桃園会、劇団壱劇屋、劇団ガバメンツなどに出演。コメディからシリアスな役どころまで柔軟に適応できる演技力には定評がある。

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塚原悠也

KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター / contact Gonzo

 

KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター。京都市生まれ大阪市在住。関西学院大学大学院文学部美学専攻修士課程修了。2002年にNPO DANCEBOXのボランティアスタッフとして参加した後、2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。殴り合いのようにも、ある種のダンスのようにも見える、既存の概念を無視したかのような即興的なパフォーマンス作品を多数制作。またその経験をもとに様々な形態のインスタレーション作品や、雑誌の編集発行、ケータリングなどもチームで行う。

Photo by Takuya Matsumi

KSTF2022

審査員講評

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3名の審査員にいただいた講評文を掲載いたします。

合田団地

努力クラブ

 

A―1 コシピカ「自殺少女」

 

 自殺という絶対的なシリアスに、それに対してその自殺をすすめるという馬鹿馬鹿しさのギャップが楽しかった。

 そうであればこそ、後半、馬鹿馬鹿しさが引っ込んでシリアスが強くなってバランスが崩れたのが残念だった。コメディがドラマに変わってしまった。

 シリアスが強くなってドラマに変わってしまって、そうなると物足りなくなってくる。心の揺れ動きが見えてこない。もちろんセリフの中で、どういった気持ちなのかはわかるのだけれど、もっと激しい応酬や動揺など感情が表に出てもよかったのではないか。あと、セリフだって、まだまだ説明的で幼稚な気がした。話している内容は幼稚だとは思わなかったけど、描き方が。迷ってる最中のセリフがもっと聞きたかった。

 コメディとしてもドラマとしても、なんだかどっちつかずだったという印象。笑わせるぞという気持ちでもって作れば笑わせられただろうし、そうじゃなくて、ドラマを描くぞという気持ちで作ればもっと人間の愚昧さや誠実さやたくましさを描けていたはず。

 僕はコメディとして見た方が楽しいと感じたからそう見たけど、その見方が許されないように作った方が面白かったと思う。

 

 コメディとして作るとしてもドラマとして作るとしても、僕が作るなら縄はずっと残したままにしておくかな。異常事態の象徴として置いておきたい。そんなん言われても知らんやろけど。

 

 

A―2 共通舞台「Why theatre? Why you?」

 

 冒頭の言葉、それからの光と音と映像、揺れている役者の体、これからどこへ連れて行ってくれるのだろうってとてもワクワクした。実際、空間作りという点において、他の団体と比べて圧倒的だったと思う。この空間を摂取しているだけで、十分に酔える。わけがわからなくなっていろんなことがどうでもよくなっていく感覚があって気持ち良かった。大袈裟かもしれないけど、あつらえは完璧だったんじゃないか。

 テキストが弱いなあ。3つあるエピソードのうち、2つ目は良かったと思った。聴いていて、何の話をしているのか、わかるようなわからないような、最後まで聴いてやっぱりよくわからないと思えたのがよかった。酔えた。

1つ目と3つ目のエピソードはわかる。わかるが故によくないと思った。せっかく雰囲気に酔えていたのに、意味のせいで醒めてしまった。本人たちにとっては切実なことなのだろう、切実さは伝わってきた。伝わる言葉を使って話していたから。

伝わる言葉には、どうしても嘘が生じてしまうと思う。最初に感じた気持ちを言葉として捉えたときに違うものになり、それを他人に伝わるものにしたときにもっと違うものになる。伝わる言葉は、最初の気持ちから意味に変換されていて、意味では酔えない。醒める。十歳以上離れたオッサンにわかる言葉でなんか話してほしくなかった。

よくわからなくなれるんじゃないかと最初に期待した僕には、酔えない言葉は退屈だった。

 

 

A―3 劇団 片羽蝶「星の産声」

 

 もっとよくわかりたかったなあっていうのがある。いろんな事情があったとは思うけど。

 やりとりのテンポ感、演技の強弱、音楽や照明や借景の使い方、とても見やすくて、劇世界の中にすんなりと没入できた。劇としての完成度はとても高かったと思う。美しいとすら思った。

 コンプレックスを持った人間、もっと愛されたかった人間への祝福だと受け取ったのだけれど、どうでしょうか? もしそうだとしたら、本当に優しい話だと思うし、その優しさを必要とする人は今の時代には多いと思う。優しい気持ちで作られたお芝居が見れて僕は嬉しい。

 でも、台本。いや、設定そのものはファンタジーで、かわいくて、でも残酷で、よかったし、展開だって劇的で興味深く見れた。言葉が足りなかったのではなかったか。言葉というか、やりとりが足りなかったのではないか。テンポ感もあいまって、置いていかれていると感じてしまった。わかるためのやりとりが各シーンに2つ3つあれば難なくついていけたのに。

 それでも、追いつきたい、理解したいと思わせる素敵な清潔さがあった。余計な欲を感じなかったから。

 

 

B―1 劇団洗濯氣「But fry」

 

 どうしても点数は辛くなってしまう。目立ってしまうよくないところがあったから。でも、良いところはすごく良かったし、好きか嫌いかであれば結構好きではあった。

 暗転の多さは気になった。暗転なんて使わずに照明を変化させたり、次のシーンの人が登場してきて喋り出すだけで、場面の切り替えはできるので憶えていてほしい。

 一人旅の時間もまた難しい。必ずしも面白くならないわけではないけど、どうしても展開を作りづらいし、セリフが全て独り言になってしまう。どうして声に発しているのかという違和感になる。退屈である。この退屈さ、孤独さを生かして、次の出会いの喜びを大きくすることも可能であるけど、そこまではいけてなかった気がするし。

 っていうのが目立つ良くない点。目立つのは、もっとどうにかできたでしょうと思ってしまうから。

 

 でも、面白いところはすごく面白かった。

 スーパーファミコンのRPGみたいだと思った。旅に出るからそう思ったわけではなくて、むしろ旅に出る前に強く感じた。みんなの衣装がかわいらしくそろっているのもそうだったし、劇的ではなくて淡々と丁寧にシーンが重なっていくのもそう。みんなの演技の質が均一的で誰か一人が目立っているわけではなかったのもそうだと思う。

 ドキュメンタリーを見ているようにも思った。ドキュメンタリーのようで面白かった。生活を見ている面白さ。淡々とシーンが重なっていくこと、みんなの演技の質が均一的だったことが、そうとも思わせた。感情移入や自己投影するわけではない観察という醒めた面白さがあった。

 しかも、ゲームの世界観の中の生活が描写されていたのだ。演劇というメディアで、架空の世界の生活を描いたドキュメンタリーの面白さ。珍しい面白さなので、とても好きだった。

 でも、この面白さが旅に出てしまうことで消えてしまった。演劇の面白さはこういったものだという常識が見えてしまった。

最初から最後まで、村のシーンだったらとんでもない傑作だったと思うけど、でもそれはやりたいことではないかもしれない。

 

 

B―2 ちゅ~ぺっと「シン・合法演劇」

 

 そんなに自分のことを追い詰めなくてもええんちゃうのかって思ったけど、追い詰められていく様は面白いし、追い詰めていく技術も度胸もあるのだから、その特権を使わない手もないだろう。

 なにより自分を追い詰めるためのシステムを作れていることがすごい。設定を自分の内面を掘り下げるために虚無にしている。この状況では、追い詰めていくしかなくなっていく。ナイーブなものを晒さざるを得なくなっていく。

 追い詰められていく様を見て、感情移入したり、理解や納得したりできる。余裕がなくなって素直な心情の吐露は、誰にとっても青春の悩みや苦しみを重ねることができただろう。

 この舞台の中で、自分そのものを生贄にささげている。でも、同時に自分への救いも愛も描かれているから、心配する必要もない。しかも、救いや愛は外部からのものなので、ナルシズムに沈まないようになっている。クレバーだと思う。

 そうせざるを得ないようなシステムになっているのがすごくて、またそれに十分に応えているのもすごい。でも、システムができている分だけ、狭さも感じた。滞りがなさすぎるんじゃないか。登場自分も、私ともう一方の私になっていたように思えてもったいなかった。

 もっと手に負えないものを取り込めれば、予期せぬものが出てくるように思う。この戦いはプラスに働くんじゃないかな。

 優しい人たちだけで作られた舞台だと思った。見ていて優しい気持ちになったから。底意地の悪さの面白さを一度でも使ってしまうともう二度と清いところには戻れないから、できる限り優しいところで作っていてほしいと思いました。

 

 

C―1 劇団ゲスワーク「革命前夜、その後」

 

 僕はここが一番良かった。審査員賞に推した。観客賞も大賞も取ったので、特になにか言わねばならないということもないのだけれど。

 

 高校生のうまく言葉にできなさが表現できていた。自分の人生の事件の起こらなさ、なにもなさへの不安、周囲の人への羨ましさとか、言葉になる以前のその気持ちが丁寧に舞台上にあって、すごい。台本もそうだけど、苛立ったり、明るく振る舞ったりというそれぞれの演技が、裏側に素直で弱い部分を隠しているようで、それもまた生々しい。

 

 だからこそ、机や椅子を倒してからの暴れっぷりがもっと激しければ良かったのにと思った。もちろんそんなつもりはないと思うのだけど、なんだか手加減しているように見えてしまった。内側に溜めこんだものの発露だったと思うので、やってやりすぎるということはないはず。もっともっと暴れてほしかった。いろんなものを犠牲にしながら、暴れてほしかった。

 あ、あと、一番はじめの独白、歳をとって、あの頃からの距離が生まれて、あの頃と現在がどう変化したのか変化しなかったのか、これからの物語をどう見ればいいかを示してほしかった。あ、でも、これは難癖に近いかもです。ごめんなさい。

 

 とはいえ、すごく面白かったです。

 

 

C―2 ダンディ談義「スマートショー」

 

 舞台の前半、中川対本剛の変テコさを愛す。いや、この変テコさの面白さは狙ったものではないかもしれないけど、とにかくこの変テコさは愛しいものだった。

 違和感が違和感のまま、辻褄が合っていないような違和感、それを解決したり消化したりしないまま過ぎていく。この違和感が残ったまま、テンポ感であったりだとか力強さであったりだとか、役者の力量で強引に進んでいく。これがとてもよかった。すっかり頭は混乱してしまったのだけれど、でも、この混乱が面白くて、この混乱を愛す。

 後半、中学生が出てきて、やっと設定や状況の辻褄が合ってきた。あの違和感が、あの混乱がなくなってしまって、僕は残念に思ってしまった。なんだかよくできた脱出ゲーム的な面白さになってしまったなあって。

 ここで疑念。二人目の中学生を先に書いてから、一人目の中川を書いたのではないか。逆算で、説明が足りないところを補うために一人目を書いたのではないか。だから、ああいう無理が生じたのではないか。僕にとっては、その違和感が、本当によくわからないところに閉じ込められたようで面白かったのだけど、、、。

 

 劇として、脱出ゲーム的なものとして、成立させなきゃというのが垣間見えて、その部分は真面目過ぎやしないかと思った。なぞってしまっていたような気さえする。この意識からこぼれたところが、役者の力量や舞台全体に漂うサービス精神もあって、最高だったので、もっと自分たちの面白いという感覚を信じて作ればいいのにと思いました。

 

 

C―3 京田辺、演劇ないん会「星の王子様」

 

 王子様役の人がとても上手で魅力的だった。誰が、何が、この舞台の、この物語の推進力を担っているのかがわかりやすいことは、見やすさにつながるので良いことである。全体的にスピード感があってよかった。暗転が多かったので、それはもったいなかったかな。そのスピード感が途切れてしまう。暗転自体が悪いものではないけれど、ぶつ切り感が出てしまうことはよくない。

 かわいらしい雰囲気が舞台の最初から最後まで統一されていて、とても安心して見れました。

 

 とにかく王子様役の人が良かった。いや、王子様役以外の人が悪かったというと、そうではなくて。発声もハキハキしていて、キャラクターの輪郭もはっきりしていて、それぞれ魅力的ではあったけど、やりとりという点でいうともっと面白くできただろうと思う。

 王子様ともう一人というシーンが続いていくのだけれど、テンポが全てのシーンで似たような感じだった。全てのシーンが王子様のテンポで進んでいく。対話の中で、王子様のテンポが変えられることがなくて、単調という印象を持ってしまった。

 たとえば、意味を持たせた上でセリフとセリフのあいだの間を極端に変えてみたり、意味を持たせた上でゆっくり喋ったり早く喋ったり悲しそうにだったり楽しそうにだったり、してみれば、単調だったという印象も変わると思う。相手の言い方が変われば、それを受けての言い方も変わると思うし。稽古のときに、いろいろ遊びながら試してみて、いろいろ発見してみてほしい。

 

 45分間、全然嫌な気持ちにならなかったので、これは実はすごいことである。

佐々木ヤス子

サファリ・P

 

・コシピカ『自殺少女』
自殺をしようとする妹とそれを止めようとする姉の攻防を、最小限のセットで表現する。最小限のセットでありながら、冒頭からシチュエーションがよく感じ取れる。脚本のテンポもよく、コメディタッチな部分も面白い。演技もはっきりとしていて良いが、この脚本ならばもう少しリアリティのある演技帯で行なってみてもいいのでは。中盤以降の登場人物の心理描写が大味な部分があるため、狙っていない形でコント感が出てしまっていてもったいなく感じた。

 

・共通舞台「Why there? Why you?」

着想、構成、演出、俳優、映像、音楽、照明、全てがよく狙いをすましており素晴らしい。クラブミュージックとともに「今日は音楽を楽しんでいってください」という日常と同じサイズの発話で、ラフに作品が始まるが、所謂「演劇」とは違うイメージのシーンが展開される。メッセージ性もあり、演出としては一般受けしないかのように思われるシーンだが、冒頭の「ラフな指示」が観客を安心させる。俳優の身体性、発話も、自身をよく見つめたもので良い。

 

・劇団片羽蝶「星の産声」

丁寧な脚本と演出でとても好感が持てる。テント舞台のバックを開け放ち、電車の中や駅のホームとして表現されている台の上で物語が展開される。中盤、電車の音とともにバックサスが光るシーンには心臓をギュッと掴まれるように緊張感が走った。演出意図とは関係ないところではあるが、観劇当日、会場の周りに嵐が吹き荒れており、風音やバタバタと揺れるテントが作品とマッチしておりとても良かった

。俳優の演技も大変丁寧で好感が持てるが、出力の種類が少ないので、中後半に若干の飽きを感じさせる。今後に期待したい。

 

・劇団洗濯氣「But fly」

太陽への使いに選ばれた蝶の村の少女ナディを中心に展開するファンタジー作品。一貫してファンタジーな世界観を作り出そうとする気概はとても良い。ただ、暗転を多用し明転中のシーンが数秒しか行われないなど、映像作品やアニメ作品のような場面転換の仕方が観客の集中力を削いでしまうように感じられた。また、ファンタジー作品ではあるものの、演技のリアリティのなさが気になった。リアルさを意図的に持たせないのであれば良いのだが、その意図が感じられないことがもったいなかった。音響を効果的に使用する、スモークや地明かり以外の照明を使用するなど、効果への知識をつけることにも今後期待したい。

 

・ちゅ~ぺっと『シン・合法演劇』

舞台前面に電飾が施され、大量の衣服が投げ捨てられ、スモークが充満する中、マイクを使い見得を切るような、サイケで中毒性のあるオープニングが始まる。そして「ピンク」の印象が強く残る。なるほど「ピンクと可愛いと痛いが一番似合う劇団でありたいと思っています」という劇団コメントにも頷ける。脚本の俳優の演技も、等身大であり、それゆえに違和感なく作品に入り込むことができ、気づいた時にはじわじわと毒で殺されるような作品だと思った。中盤に出てくる「客席に帰る」という演出も、実際の客席に降りるという意味と、演劇をやめ一般の世界に戻るという二つに意味が込められており、とても良かった。今後、どのような作品を創るか楽しみな団体である。

 

・劇団ゲスワーク「革命前夜、その後」

自習室に並べられた机と椅子が崩壊し、紙や本が投げられ舞台上に巻い、机や椅子は残骸となり瓦礫のように積み上げられる。主人公は友人たちが青春の中に舞い踊る中、もがき走る。全編を通して表現したいことがはっきりとしており、大変見やすかった。主人公のミヤモト役の間崎さんは不思議な魅力があり、彼の思考回路を観客が主体的に読み取ろうとする力が働いているように思った。俳優間の演技のやりとりが上手くいっていない箇所が見受けられたのが勿体無かった。先程も記述したクライマックスのシーンだが、例えば具体的に身体的負荷を与えるなどして、もう一段階高い熱量、真に迫った俳優の動きを見てみたい。

 

・ダンディ談義「スマートショー」

客入れ状態の薄暗い状態で、舞台奥に一つだけ設置されている箱。たかれるスモーク、その不気味さを助長させる音楽に、作品への期待感が膨らんだ。密室に閉じ込められた二人と、残されたスマートフォンという導入はキャッチーで面白く観れたのだが、俳優の、奇妙な状況を受け入れる速さ、空間認知の速さなどに違和感を感じてしまった。これは脚本に対する俳優の俳優にしか感じ取れない違和感のようなものをフィードバックして、また演出を付け直すなどして解決できるのではないかと思うので、是非取り組んでみて欲しい。

 

・京田辺、ないん会「星の王子さま」

星の王子さまを素直に丁寧に作っている印象を受け好感が持てる。場転もシンプルかつ、動きに工夫がなされ観ていて面白かった。現代の王子さまと回想の王子さまを演じる俳優を分けているが、なぜ二人を分けたのか、もう少し明確な意図を感じたかった。また、その二人を分けることによって、よりオリジナリティのある「星の王子さま」を創作できるのではないだろうか。なぜ今、この劇団が、このメンバーで「星の王子さま」を創作するのかという意図も知りたかった。

塚原悠也

KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター / contact Gonzo

 

講評全文

 

学生演劇というものに初めて触れて、その現場の熱量に感銘を受けた。僕自身は学生時代は何かを形にしたりましてそれを世に出すようなことはせず、ただただ映画や音楽に触れて考えごとをしていただけだったと言えるので、いやはやほんとすごいなと思いました。コロナを経て、相当ブランクがある世代だと思うし、そもそも集団作業だし、大変なことがたくさんあると思いますが、それでも何かを表現したいと思えるという事が何よりもの財産なのだと信じてください。

あと、これは審査会でもお伝えしましたが、コンペやアワードの結果というものは長く続くであろう皆さんのキャリアの中の一つの通過点でしかありませんのでいちいち結果に振り回されるのは時間の無駄なので、あまりに気にしないようにしてください。僕なんかは色々なアワードに参加してきましたが選外や大賞をとれなかったときは、主催が大損をしたとしか思わない思考回路で活動しています。経験上、何かの賞をとるよりも何せいい作品を作ることのほうが、その場で次の仕事につながります。

またこれもお伝えしましたが審査員という立場上、自分は思ったことを正直に書く必要があるのでそうしていますが、まぁこれからの価値体系は皆さんの世代が作るものですから自分たちの思う、自分たちに都合のいい価値体系を築き上げてください。今二十歳くらいだとしたらそれをやるのにあと15年くらいは余裕でありますのでその間に日本でやるなら日本のアートシーンの価値体系のコアをどうやったらみんなで乗っ取れるか考えてみてください。非常に楽しい作業です。続けていくと演劇なんてやってこなかったやつらがめちゃくちゃ面白い作品作ってしまったりいろんなやつに必ず出会います。最終的に演劇じゃなく全然違うことしてたっていいんです。

あとこれは講評文にも書きましたが、多くの団体が似たメソッドの演技を行っていたかと思います。いわゆる演劇っぽいといわれるような、正面性がたかく、ハッキリと発声するあの方法です。もしそれを行っているのなら、なぜそれを行っているのか、誰がこれを推奨しているのか(もう顧問とか先生はいないはずだ)、それを考えるだけでも今の日本で自分たちは何をやりたいのかという事がより明確になるのではと、これはどのブロックでも感じました。もちろん、もっとハッキリ発声してやるぜ!!という事でもいいでしょうし、僕が関わる世界ではもっといろいろな方法を独自に生み出した人たちもいるので、できるだけ柔軟かつ過激な思考体系を保たれ、あるいはそれを加速させることを願ってやみません。

最後に皆さんの貴重な時間に少しでも関われたことをうれしく思っています。どこかで見かけたら声をかけてください。ビールくらいならおごります。

 

では以下それぞれの講評文です。

言い返したい事などがある人はこちらまでお願いします。

https://www.instagram.com/yuya_gonzo/


 

Aブロック

 

コシピカ(立命館大学)

『自殺少女』

 

自殺を試みる妹を発見した社会人姉がそれを止めると共に逆に妹の自殺を行う覚悟のなさを責めるというストーリーの作品。ちゃぶ台一つでシンプルな舞台、二人の会話で進めていく作品。少しづつ彼女たちの生活や社会状況、姉は実は病気をしているなどの背景が徐々に見えてくる構成は工夫が見られた。一方でシンプルな構成の分、演技でどこまで何を表現できるのかというところに興味が向いた。二人の出演者は「セリフをきちんと進める」という事に集中しているようで、立ち位置を変化させていくなど空間構成もより意識した演出が欲しいところではある。舞台上で演技を行う場合、セリフだけでなく、空間全体を観客は見ており、役者のちょっとした目線やしぐさで例えばこの部屋がどういう部屋なのかという事なども表現できるのではないだろうか。どこに壁があるのか、という事などを観客が意識できると観客の脳内に狭い家を作り出すことが可能で「うちは貧乏だから」という内容のセリフが一気にリアリティを持つと思う。そういう意味で照明も舞台全体を照らしている必要はなかったのかも?床を仕切ったり、思い切ってSSだけで見せるシーンなど進行と連動しながらもっと遊べると思う。稽古しながら遊ぶのは大事だと思う。




 

共通舞台(京都大学、京都芸術大学)

『Why theatre? Why you?』

 

クラブ空間のようなスモーク、VJ、クラブミュージックが流れる中、3名の出演者が、それぞれの思いや考えをマイクで伝える。通常の演劇のフレーミングではなく、様々な演出効果が交わりながら進んでいく作品。新しいことをやろうという事に好感を持った。ただ、ここまでやるのならもう少し実験の先もあるのではないかとも思う。出演者3名は基本的には役者という事で役割を果たしているが、例えば出演者が実際にDJをやってみるとか、マイクにかかるエフェクトも足元にエフェクターを置いておくなど出演者自身が演出を変化させていく事も可能かもしれない。色々実験することで従来の演劇の枠をより根本的に拡張する可能性が出てくるのかもしれない。空間デザインに関してもセリフを発する事はないけど、ずっと踊ってるだけの人とか、眺めてるだけの人とか、色々な人がいることで出演者3名の相違点や関係性がより露わになるかもしれない。役者ももはや舞台上で行うということにこだわることもないのかもしれない(これはコロナ対策でダメだったらしい)。何かの物語が完結するという事もないのであれば、それぞれのストーリーが順序に並べられるというありかもしれないし、それぞれの文脈がノンリニアにリミックスされてもいいのかも?映画「バベル」を少し思い出した。北京拠点のチェン・ティアンジョウとかは参考になるかも。https://www.instagram.com/asian_dope_boys/?hl=en


 

劇団 片羽蝶(大阪工業大学)

『星の産声』

 

少し未来?の世界で地球からは星が見えず、その再生実験を行う男性と出会った少女。割と壮大な設定でそこに好感を持ちました。彼女は宇宙人にかつてさらわれており(!)、船内の上空からは星が見えたと言っている。という物語要素の強い作品。SFには見せない、SF的設定の純文学風物語というのは新鮮であった。漫画で言うと鶴田謙二的な世界観か。一方でこれは自分だけなのかわからないのだが、少し物語の把握に苦労を要した。というよりもすべての設定を理解しているのかちょっと不安なまま作品が進んでゆく。これはいろいろな設定要素が、徐々に明らかにされてゆくことが理由になっているかもしれない。それと同時に登場人物のキャラクター設定は少し気になって、人付き合いが不得意そうな2枚目風の男性科学者と、健気な少女など、男女の役割設定が従来的な男性視点からの物語、設計に陥ってしまっているようには感じた。こういう設定がウケるかもしれない客層ももちろんイメージできるが自分が活動する現場の価値観で言うと更新が欲しい従来的な価値観ではある。実際に公園である現場やそこを通る電車という背景を生かした演出は興味深く見たが、駅や家、星の見えない空の描写などが演出的にも、もう少し示されることで情景がより広がるのではないかとと感じた。おそらく45分以内という規定に併せて伝えきれなかった部分もあるのではないだろうか。


 

Bブロック



 

劇団洗濯氣(京都橘大学)

『But fly』

 

どこか僻地の村に住む部族?がひとり使者を選び旅をさせる、その過程や道中の出来事を舞台化した作品。ストーリー性やその背景設定が重要な作品。一方でそれを舞台全体で見せていく方法が少し物足りなかったように思う。ほとんどのシーンが暗転でつながれており、それが全体のリズム感をぶつ切りにしてしまっているように思う。映像であれば編集でぱっと視点が変わるが、そのままの感覚で舞台の暗転を入れるとそうはいかないので難しい。物語上の異なる時間や空間を同居させつつ、観客の関心を誘導することでも物語の進行は可能なのでこの辺の演出の工夫を今後より期待したい。また物語の世界を創作する際の設定はとても重要で、セリフで説明されてない部分でもチームで綿密に共有しておくことでいろいろな工夫が進むのではないかと感じた。衣装も頑張ってはいるが、細かいデザインがなぜそのような造形になっているのかという理由が作品の背景と連動して伝わればこの部族?のあり方がよりイメージしやすいように思う。あそこまで頑張ったのに全員スポーツシューズというのももったいない。また神父様、という存在が出てくるとこの世界はキリスト教なのか?などと背景設定についてやはりつい考えてしまう。最近見た映画だとドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE」(完成度高すぎ)、漫画だと三宅乱丈の「イムリ」(辺境の部族の生き残りが不思議な能力を手に入れつつ旅をする)などが設定の作り方と異文化のデザインや表象を作るとき非常に参考になるかと思う。



 

ちゅ〜ぺっと(近畿大学)

『シン・合法演劇』

 

ある大学の演劇サークルのふとした時間にだべっている男女、高校演劇では注目された女の子が演劇を続けるのかどうか迷っている。観客席からひとり入ってきて自分はその子のファンでその作品に救われた、続けてほしいと伝える。演劇をやることや、自分と演劇について悩みながらどうせ自分は、とシニカルに自己批評をするというのが世代特有?なのかと感じた。より大きな世界を目の当たりにする際の戸惑いがよく描かれていると思います。高校から演劇というジャンルがあってみんな青春を傾けている世界があるんですね。知りませんでした。それぞれの出演者も自然体で、自分がどういう役なのかをうまく体現されていたように思う。脚本も自分の世代の考え方や、言葉遣いをよく観察していると思うし、その点を興味深く見ました。舞台美術も、床面の色をピンクに変えるなど全体をダイナミックに使っていて、創作も楽しかっただろうなと思わせるようなバイブスも作品に生かされていた。一方で「演劇について悩む演劇」というテーマは若干ナルシスティックでもあり、また瞬間風速高めの自伝的(?)作品というものは何回も続けては難しい一発技のようにも思うし、次の作品にも期待したい。物語を書いていくのか、より実験性を高めていくのか、その両方を同時にやっていくのか、楽しみにしています。チームの組み方次第で演劇をやるカルト的地下アイドルのような活動もできそうと勝手に妄想していました。



 

Cブロック



 

劇団ゲスワーク(京都大学 等)

『革命前夜、その後』

 

高校の自習室に集まるそれぞれ何かしらの理由がある生徒たち。主人公が中央にいて文化祭の途中で多目的室のガラスを割ったことを客席に向かって独白、生徒の間で話題になりつつも皆文化祭でいろんなことを考えている。一人の女生徒が主人公の男子が描く小説を題材にいつか映画を撮りたいと話す。青春モノローグ的な作品。終盤に向かって机やいすが中央に投げていかれ紙なども散らばり青春期の何かやり場のない衝動のようなものがあらわされる。テキストや演技の技術的な部分は非常にしっかりしていて全体的にとてもみやすかったです。ともすれば優等生すぎるくらいかなとは思いました。照明も面白い変化も多く、演劇祭を通してみてもレベルが高く好感が持てた部分です。一方で、高校時代の青春という永遠のモチーフの素晴らしさもわかるが、皆さん既に次のステップに進学しており人生はより複雑化しているのではないかとも感じ、次回作がどのようになるのか楽しみです。(他の作品が見れていないのでこういう見え方なのかもしれませんが)。「この演劇はあと何文字です」と途中からカウントダウン的なセリフが混じってきて、芝居自体がメタ化されていくが、いまいちメタ化される必然性を自分は感じなかった。これはほかの作品時も少し見受けられたが今はやっている演出???最近見た最高のメタ化はジム・ジャームッシュ監督の「

The Dead Don't Die」にでてくるアダム・ドライバーがやる警官役のセリフです。映画自体も非常にレベルの高いふざけた映画で是非見てください。

 

ダンディ談義(関西大学)

『スマートショー』

 

イカゲーム的な、気付いたら監禁されていて脱出を試みる設定、というよりもジャンル。カイジ的でもあるし、ガンツ的でもある。エンターテイメント的に面白く、演技もしっかりとしていた。しかしそういった理由で作品のフレームとしては特定のジャンルの内にとどまっており、そのため話が進行していっても驚きは少なく、むしろ時間の制約の関係か何か最後までこの話を見た気がしなかった(それは多分仕方ないのだろう)。舞台にはシンプルな青い箱(トイレ)が置かれるのみですっきりしていて見やすかったと思う。一方で会話と設定、キャラクターの在り方などに創作が集中しており、この不可解な状況や、監禁されるという不条理、(出入口がない?)部屋自体の不気味さ、この辺を演出や演技でもっと表現できたのではないかと思う。これらのことはセリフでというよりもふとしたさりげない演技、そして照明や音響などの効果を通して空間を表現できるようなことではないだろうか。それにより状況の切迫感が出るのでは。今回はそのあたりが感じられず、コミカルな発話も相まって多少お笑いコント的な雰囲気にも感じられたように思う。久ぶりに映画「Hostel」1と2を観たくなりました。いつかネットフリックスとかで連続ドラマ書いたりしてください。


 

京田辺、演劇ないん会(同志社大学)

『星の王子さま』

 

サンテグジュペリ「星の王子さま」原作の舞台作品。例の王子が様々な人物と出会いその不可思議な考えなどに触れて世界を理解してゆく過程を描く作品。講評会では演出の方?が「去年はまじめだと言われた」とおしゃっていたが、まじめです。でもそれはもうそういうチームなんだしそれでいいと思いますよ。一方で「演劇をする」といったときの前提がこれまでの既存のコマーシャルな演劇の方法論にのっとっており(静かな演劇、の手前?)(ほとんどの団体がそうなのですが)、なぜその方法論を選ぶのかという批評精神は感じられず、結果的にいまなぜサンテグジュペリなのか、という問いにも発展しかねないと感じました。素晴らしい原作作品が地域や時間を超えて普遍性を持つのはよくわかるが、皆さんがそれを今観客と共有する必要性をもっと感じたかったように思う。そこがなければ集団としては「うまい演劇」を目指すことになってしまうのではないだろうか。逆にそこが明確になると、練習してきた通りのことを遂行するための舞台ではなく、観客の意識をもまきこんだ双方向の会話が成立するのでは?そういう意味で今回は若干一方通行的な舞台作品のように感じられた。

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