
2025/08/06,07,08
合同稽古会
「人が集まる」
演劇の価値の一つである。
とりわけ京都学生演劇祭は締めて10団体、合計100人以上の演劇人が集う正に祭典である。もはや古都平安京を構成する伝統芸能のひとつと言っても過言ではない(ようにしていきたい)。

「意外と暑くない」
自分でコレを企画しておいた手前情けない話だが、私は暑さにバテていた。
しかし、最近ことの他暑くない…!
「いける気がする」
鴨川を自転車で滑走しながら感じた。
さて、舞台は東山青少年活動センター。
やること?『合同稽古会』である。
演劇人にとっては見知った話かもしれないが、コロナ以降の各大学の演劇コミュニティの断絶は解消すべき問題であった。
京都学生演劇祭プロデュース合同稽古会とは、数団体が一堂に会し、お互いのことを知ることで先述の課題解決に寄与することを志す、そんな企画だったのである。
団体数の兼ね合いもあり3日間に渡って開催した。
初日:演劇ユニットくじら74号・京田辺、演劇ないん会・劇団洗濯氣
2日目:灯座・劇団深夜特急・劇団ACT
3日目:劇団愉快犯・劇団,白薔薇
といった顔ぶれだ。+αでの参加も見られてニコニコである。

メニューも手短に紹介しよう。
①自己紹介
②各団体の、稽古場でのルーティンを一緒にやってみる(発声、体操etc…)
③グループに分かれて「詩」の上演。フィードバック
④おしゃべり、座談会
あの。少し前に行われた同じく演劇祭プロデュースの演出ワークショップと被ってたらしい。メニューが。あの。
といったアワアワした気持ちであったが、大人と同じ考えに至った自分たちが偉いということでその場はまとまった。

キッチリする必要はないと考えていたため、ダラダラと自然体でやるよう心がけた。参加者の方にもリラックスして頂けていたら幸いである。
各団体さんの稽古場ルーティンでは細かい発見が多かった。ラジオ体操ひとつとっても各団体さんの趣向が出ていてとても楽しい。(ドラえもんの面々が指導してくれる、ラジオ体操第三もやる、など)
個人的に最も楽しかったものはACTさんの「1曲終わるまでエンドレススクワット」だった。(翌日京大から貴船神社まで歩いて行ったのだが、筋肉痛が大変尾を引いていた…まだまだ弱い…)
肉体的に強くなりたい方はACTさんの門を叩こう。

「詩の上演」
自分にとっては(恐らく参加者の過半数にとって)初めての体験である。
演劇の短編ではなく敢えて短い詩を用意することになったのだが、どのグループも約3-5分の面白い上演を披露してくれた。
抽象に振る、具体に振る、全員で演出を考える、分かれて練習する、同じ制限時間45分ほどの中でさまざまなバリエーションが見られた。
・詩の文章をそのまま読む/読まない
・一方向舞台/円形舞台
・音響あり/口で言う
・タイトルを言う/言わない
・具体的なシチュエーションを想定する/コンテンポラリー的
といった具合に多くの観点で多様さが見られ、上演後のフィードバックでは創作の過程を振り返り、解釈や演出意図、進め方などについて「共有知」を作り出すことができた。
演劇と創作の可能性に脱帽、する前に別々の団体をごった煮にして幾つもの上演が産まれたことに感動を覚えるばかりである。
一通り終わった後の、アフタートークタイムが非常に良かった。自分が加わっていた円では、MBTIや最近観た映画についての話もした。将来の話をしたことも…(叫び声が上がることも…)
(『国宝』『鬼滅の刃』、邦画が珍しく頑張っている。映画館に急ごう。)

さて、そんなこんなで合同稽古会は筒がなく終わった。はずである。
正直に言った方が良い部分もある。最終日はあまり交流とは言えない構成になってしまった。来てくださった団体さんには感謝と陳謝を。
といった感じに、交流が上手くいったり上手くいかなかったり、団体同士の関わりを深めることは、演劇祭というハコモノであっても、長年の難点である。
しかし交流好きの人間に神が与えたもうたボーナスステージが存在する。
「全国推薦の協議」や「仕込み期間」、そして何より「演劇祭本番」。これから控えるイベントの数々である。
冒頭でも示したように「人が集まる」は演劇の大きな価値である。
演劇祭はさまざまな理由で「可能性を広げる」場であると私は常日頃思っている。そしてその中でも人材交流のポテンシャルは京都で演劇をやる上で随一なのではないか、と思う。

私事であるが、自分はこれから1ヶ月の山籠り(文字通り)を始める。下山する時には演劇祭も「ヤマ」に差し掛かっているというわけだ。どんな演劇と、どんな人と、出逢えるか。ワクワクが止まることはない。
楽しんで!!!!
(レポート:古川奨)